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アトピー覚書ブログ

成人型アトピー 脱ステ・脱保湿患者のブログ

プラセボ効果にまつわる2つの誤り

アトピー覚書

プラセボ効果とは

世間一般で解説される、プラセボ(placebo, 偽薬)による「プラセボ効果」の定義は次のようなものです。

薬効成分を含まないプラセボを薬だと偽って投与された場合の治療効果 *1

専門家でもない限り、このような意味でプラセボ効果を理解していれば、さして問題は起きないかと思われます。

ところが、このような世間一般でいわれているところのプラセボ効果は、誤った理解に基づいているという指摘があります。その誤りとは、「語源」と「定義」にまつわるものです。今回は、その2つの誤りに触れながら、真のプラセボ効果とは何かについて掘り下げてみたいと思います。

なお、英語での発音はプラセボではなくプラシーボに近いのですが、プラセボという表記が日本において浸透しているので、以下プラセボと表記します。

 

プラセボの語源をめぐって

プラセボ、英語でいう placebo の語源は、ラテン語の placēbō で、その意味は「I shall please 私は喜ばせよう」です。*2

かつて、カトリック教会では、死者が出ると、晩課に加えて、死者の魂を鎮めるための祈祷や聖書朗読が行われていました。その交唱は、詩編 第116編 第9節から始まります。ラテン語では、その最初の語が「placebo」です。

"placebo Domino in regione vivorum"

では、詩編 第116編 第9節とは、どのような内容なのでしょうか。

英日対訳により第8節から引用してみましょう。

8 For you have delivered my soul from death,
 my eyes from tears,
 and my feet from falling.

8 あなたは、私の魂を死から、
 私の目を涙から、
 私の足をつまずきから救ってくださった。

 

9 I will walk before Yahweh in the land of the living.

9 生きる者の地で、神の御前に私は歩もう。*3

そこには、死の苦しみに捉えられ、悩みと悲しみのうちにあった私を救ってくれた神への感謝の言葉が述べられています。

しかし、よく読んでみると、「I shall please 私は喜ばせよう」という言葉はこの中にありません。第9節は「I will walk 私は歩もう」から始まっています( I shall walk とする訳もあります)。どういうことなのでしょうか。

その理由を知るには、ヘブライ語聖書にまで遡らなければなりません。ヘブライ語聖書では、詩編 第116編 第9節は「ethhallech」(I shall walk 私は歩もう)という言葉で始まります。

ところが、奇妙なことに、ヘブライ語の「ethhallech」が、七十人訳聖書ではギリシャ語で「euarestaso」(I shall please 私は喜ばせよう)として翻訳されました。

その結果、ギリシャ語テキストから翻訳したラテン語聖書ウルガタでも、ラテン語におけるその同意義のプラセボ「placebo」(I shall please 私は喜ばせよう)に翻訳されたのです。*4*5

 

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プラセボの意味が「私は喜ばせよう」であることに変わりはありません。しかし、プラセボという語を用いたところに誤りがあったといえます。ヘブライ語聖書を紐解けば、「私は歩もう」という意味が由来なのです。

神の救いにより死から生へと歩まんとする姿は、今のプラセボという言葉のイメージに、より近いようにも感じますが、いかがでしょうか。

 

真のプラセボ効果とは 

語源は純粋に言葉の問題ですが、次に紹介する「真のプラセボ効果」に係る定義をめぐる問題は、臨床的にも意味をもつ話です。 

まずは、プラセボ効果の定義が誤って解釈されているとする問題提起からです。

A placebo is an inert treatment with no specific therapeutic properties, whereas the placebo effect is the response to the inert treatment. Although this is the most common definition, it is not completely correct, 

プラセボとは、特異的な治療特性をもたない効果のない治療をいう。
一方、プラセボ効果とは、効果のない治療への反応をいう。
これが最も一般的な定義であるけれども、完全に正しいとはいえない。*6

こう指摘するのは、トリノ大学の教授 F. Benedetti 氏です。神経科学が専門で、プラセボ効果やノセボ効果の研究でも知られています。Benedetti 氏は、このような一般的なプラセボ効果の定義が混乱を生み、その混乱が残念ながら今日の科学的文献においても広がっているとみています。

Benedetti 氏は、本当のプラセボ効果は、精神生物学的現象であることを主張しています。例えば、治療効果への期待といった心理社会的因子に起因する改善などです。*7

また、この定義をめぐる混乱をめぐっては、"真の true" プラセボ効果と "知覚された perceived" プラセボ効果という用語をもちいた Ernst と Resch によって概念を整理する試みがなされたことを紹介しています。

 

ではここで、Ernst と Resch のいう「真のプラセボ効果」と「知覚されたプラセボ効果」とはどのようなものなのかを確認してみます。

This paper sets out to differentiate between the perceived and the true placebo effect. The former is what we commonly assume the placebo effect to be: the response observed in the placebo group of a randomised controlled trial. The true placebo effect equals this response minus other effects that often determine the outcome in all treatment groups of such studies.

本論文は、知覚されたプラセボ効果真のプラセボ効果を区別することを試みる。前者は、ランダム化比較試験のプラセボ群でみられる反応であり、我々が一般にプラセボ効果とみなしているものである真のプラセボ効果は、この反応から、そのような試験において全治療群のアウトカムをしばしば決定づける他の効果を差し引いたものと等しい*8

 

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まとめると、上図のようになります(同論文より翻訳改変して引用)。 

真のプラセボ効果は、プラセボ群において知覚されたプラセボ効果から非特異的効果を差し引いたものであると述べています。また、治療群において知覚された治療効果から知覚されたプラセボ効果を差し引いたものが、真の治療効果です。

非特異的効果について簡単に補足します。

「平均への回帰 Regression towards the mean」は、「1回目の試験結果が偏っていた(特別に良かった、悪かったなど)対象について2回目の試験結果(時間的には逆でもよい)を調べると、その平均値は1回目の測定値よりも1回目全体の平均値に近くなるという統計学的現象*9」をいいます。例えば、臨床試験では、1回目に測定した血圧が高めに出て2回目の測定では低く出ることがあり得ます。

「他の時間効果 Other time effects」は、時間の経過により臨床状況や設定が変化する潜在的効果があり得るということです。例えば、医師の技術が試験期間中に向上し得ること、患者の血圧測定において白衣高血圧や季節による変化が起き得ることなどです。

「確認不能な平行介入 Unidentified parallel interventions」は、患者が意図的あるいは無意識に臨床的アウトカムへの調査や貢献という状況下で問題に対し敏感になり得ることです。例えば、高血圧患者は、塩分を控えるなど生活習慣を改善するかもしれません。

Ernst と Resch は、このように「真のプラセボ効果」と「知覚されたプラセボ効果」を区別することが、プラセボ反応に関わる複雑な現象を理解することに役立つだろうと述べています。

 

Benedetti 氏は、この「真のプラセボ効果」こそ本当の精神生物学的現象を表しているといいます。この点、患者の心の内は外からはわからないのですから、精神が身体に及ぼす影響をはかって真のプラセボ効果を識別することは困難なことのようにも思えます。

しかし、複雑な精神活動と脳の神経回路との相互作用を解析するなど、プラセボ現象を考察した最近の神経生物学的発見によってプラセボ効果についての混乱は解決されるだろうと、Benedetti 氏は考えています。

 

ランダム化比較試験(RCT)では、プラセボを使用する二重盲検法が一般に用いられています。それらの試験結果を評価するに際して、上記のような「プラセボ効果」についての理解を糺してみることも、あるいは役に立つかもしれません。

 

 (引用部分の翻訳および赤字による強調表示は当サイトによります。正確な翻訳を期していますが、正確性を保証するものではありません。)

*1:「治験審査委員のための治験基礎知識」岩手医科大学附属病院治験管理センター(2007)

*2:Longman Dictionary of Contemporary English, Fifth Edition. Pearson Education Limited 2009.

*3:Psalm116:8-116:9 World English Bible. 拙訳

*4:Lasagna L, The placebo effect, J. Allergy Clin. Immunol, 1986.

*5:Moerman D E, Meaning, Medicine, and the "Placebo Effect", Cambridge University Press, 2002.

*6:F Benedetti, Placebo Effects: From the Neurobiological Paradigm to Translational Implications. Neuron. Volume 84, Issue 3, p623–637, 5 November 2014.

*7:F Benedetti, Placebo Effects: Second Edition. Oxford University Press. 2014.

*8:E Ernst, K L Resch. Concept of true and perceived placebo effects. BMJ. 1995 Aug 26;311(7004):551-3.

*9:「平均への回帰」(2015年4月14日 (火) 02:38 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%9B%9E%E5%B8%B0