読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アトピー覚書ブログ

成人型アトピー 脱ステ・脱保湿患者のブログ

ステロイド論争(その3)

脱ステロイド

標準治療派の皮膚科医による脱ステロイド派の皮膚科医に対する批判は、程度の差こそあれ、今も続いています。

ところで、批判の中身は、この十数年であまり変わっていないようです。2000年前後に発表された脱ステロイド批判の記事を読むと、現在も流布している典型的な主張と重なるところが多いと感じます。

脱ステロイド批判の理由としては、私の知る限り次のようなものがあります。ひとつずつ、検討してみます。

1.ステロイド外用薬が効かなくなる(依存性や抵抗性が生じる)ことはない。効かなくなると感じるのは、薬の使用方法に問題がある。

 a ) 症状の重症度に応じたランクのステロイド外用剤が用いられていない。

 b ) 十分外用がなされていない。

 c ) 症状の改善が不十分なうちに使用を中止してしまう。

 

まず、依存性抵抗性がないとする根拠に乏しいです。依存性や抵抗性は長期連用により起こると考えられますが、ステロイド外用薬の長期試験報告は少ないです。また、国外に目を向ければ、依存性や抵抗性に関する報告は多数あります。この15年の間にも報告例は重ねられ、メカニズムの解明を試みた研究も行われています。すでに、「見たことがない」と退けることができない時代となっています。

a ) については、それまでmediumクラスで抑えられていた皮疹が抑えきれずに、strongクラスでないと抑えられなくなったのなら、mediumクラスのステロイドは“効かなくなった”可能性があります。

b ) については、a ) と同様で、十分な外用をするために量を増やさざるを得なくなったのなら、それまでの量では“効かなくなった”可能性があります。

c ) については、ステロイドを中止しても再燃が起こらない「症状の改善」した状態が、どのような状態をいうのかが示されていません。使用方法に問題があると責任転嫁する前に、症状が改善するまで使用を中止させないように指導するべきです。繰り返しますが、まず「症状の改善」した状態を具体的に示さなければなりません。

2.脱ステロイドにより社会からドロップアウトするほど悪化する例が増加した

脱ステロイドが強制的に行われたのであれば問題ですが、乳幼児を除いた大多数は、ステロイド外用薬による治療継続の危険性を感じて、医師との合意に基づいて、あるいは、自らの判断に基づいて、脱ステロイドを行っていると思います。そして、それは、リバウンドや社会からのドロップアウトの可能性も検討のうえのことだと思います。

そこまで患者を追い詰めたのは他でもないステロイド外用薬です。そもそも、ステロイド外用薬による治療を受けていなければ、脱ステロイドを行う必要もなかったのです。他を批判する前に、自らの治療を顧みるべきです。

また、一様に脱ステロイドを批判する医師は、酒さ様皮膚炎をどのように治療するのでしょうか。ステロイド外用薬の長期連用が原因であるのだから、使用を中止(脱ステロイド)させるはずです。その場合、ステロイドからの離脱において、リバウンドが起こり、悪化が避けられないのは周知のことです。

3.ステロイド外用薬への不安をあおることでアトピービジネスを増長させた

脱ステロイド派の皮膚科医は不安をあおっていません。ステロイド外用薬の副作用および脱ステロイドによる改善事例の報告をしているにすぎません。

むしろ、患者が脱ステロイドを実践している間は、アトピービジネスに引っかかることもないので、脱ステロイドはアトピービジネスの減少に寄与しているといえます。

また、アトピービジネスが隆盛した主な原因は、マスコミ報道にある、というシナリオがすでに作り上げられています。

さらに、ステロイド外用薬にまったく問題がなければ、患者はステロイド外用薬治療に不信を抱いて皮膚科を去ることもなく、アトピービジネスに引っかかるということもないはずです。

 

標準治療派の皮膚科医による以上のような主張は、ステロイド外用薬を使ったことがない人には、受け入れられるかもしれません。副作用のことをよく知りませんから。

しかし、ステロイド外用薬を使用して副作用を経験した人は、こうした主張を冷ややかな目で見ていると思います。頑なに根拠に乏しい主張を続けているので、患者から信頼されず、ステロイド忌避(皮膚科忌避)がなくならないのだと思います。

苦しむ人たちを無視して、責任転嫁のための世論形成に力を入れるよりも、患者に向き合った医療が求められていることに早く気づくべきです。そのためには、まず、ステロイド外用薬の副作用をひとつひとつ認めて、副作用を前提とした方策を探るべきです。

力と量で抑えつけようとしても、皮膚と同じように、いつか将来、激しい反動に見舞われるかもしれません。そのときではすでに手遅れです。

 

f:id:atopysan:20150815012954j:plain